『お日さま色の花…ひまわり♪』
8月の花と言えば…ひまわり♪日本では、太陽の動きに従って、花が回ると信じられていたことから“向日葵”と書いて「ヒマワリ」と言うそうです。英名は「サンフラワー」…やっぱり太陽の花というイメージは世界共通のようです。
“ひまわり”がそこにあるだけで、夏を実感できます。まるで太陽の日差しに染め上げられたように黄色く染まった花びらは元気いっぱい!ってイメージが。部屋に飾れば、太陽のエネルギーが感じられて、部屋がパーっと明るくなりますね。真夏色の花を楽しむなら、太陽に一番近い季節…いまが旬ですっヽ(^o^)丿
パワー全開!陽気なラテンのリズムが聞こえてきそうな黄色の花の代表格“ひまわり”は、南米ペルーの国花。
立派な大輪のひまわりは庭で鑑賞するのが一番!室内では小ぶりのひまわりを飾ってみてはいかがですか。
“ひまわり”と聞くと、頭に浮かぶのは、立派で大胆な大輪のひまわり。
代表的な大輪一重咲きの仲間「大町」は真夏を謳歌するような見事な咲きっぷり。「太陽」はその名の通り、まるで太陽のコロナのように花びらが短く中心部の色が濃いのが特徴です。食用の種子として利用されるのは「ロシアヒマワリ」で、背丈が2〜3mにもなり、花の大きさが直径25〜30cmというもっとも“ひまわり”らしいひまわりです。麦わら帽子につけてみたい♪そんなひまわりは「ヘリアンサス」淡いレモンイエローで「ヒメヒマワリ」とも呼ばれています。サイズが小さいので室内に飾ったりするのに最適かも。ちょっと変わったひまわりなら「ピグミードワーフ」。見た目はちょっと“ひまわり”じゃないみたい…これってひまわり?って感じのキクに似たお花です。小ぶりで八重咲き種のおとなしげなひまわりです。
黄色は元気いっぱいで、インパクトの強い色。暑さ疲れ(!?)をそろそろ感じるこの時期、太陽の元気を少しおすそ分けしてもらいたくなったら、お日さま色でバカンス気分♪でしょ。
全ての色の中で、最も明るく、他のどの色よりも大きく見える膨張色…それが黄色。照りつける真夏の太陽にも負けない強さをもって、小麦色の肌に似合うこの色は、真夏にこそ楽しみたい色と言えるでしょう。
夏の代名詞とも言える“ひまわり”は、いつでも元気いっぱいで悩み事(!?)なんて何もない「元気ぃ〜いっぱぁ〜つ!!!」のようなお花のように見えますが、実は…片思いのせつなさを知っている恋する花なのです。
『昔むかし、クリュティエーという水の精がおりました。そんなクリュティエーは、太陽神アポロンに恋をしてしまいました。しかし、その思いは受け入れてもらえず、それでもクリュティエーは9日間、裸身で大地に座ってアポロンを見つめ続けました。その恋心はとうとう届くことがないまま、やがて太陽の光を浴び続けた彼女の体と顔は、黄色い1本の花に姿を変えてしまったのです…それが“ひまわり”。叶わぬ恋に身をこがした乙女の化身“ひまわり”は、いまも太陽を見守っているのです…一日中太陽を追いかけながら。。。』
華やかで大胆な姿に似合わず、悲しい花だったのですね。でも、一途なところが“ひまわり”っぽいかも。
でも、この「太陽花の伝説」は実はキンセンカなのだとか…。でも、“ひまわり”の方がピッタリくるような気がします。だって、ひまわりって1日中ずっと太陽の方を見ているし。。。まぁ、基本的に植物は太陽の動きに合わせていますが、ひまわり程露骨に「じっと太陽を見ている」っぽい花はないような気がします。それは、ひまわりの花が「顔」のように見えるせいかもしれません…。
余談ですが、植木鉢ではなく地植えされたひまわりや、畑に植えられているひまわりって、とってもビッグで立派ですよね。背丈もすごく大きくて、花も怖いぐらい大きくて、茎の直径も大きいものなら5cm程あったりとか…(アレだけの高さで、アレだけの花を支えようとしたら、まぁ直径5cmの茎は必要だと思いますけど)。夜更けに畑の脇道を通りかかると、そのひまわりにドキっとします。まるで人間のような存在感で立っているから…。昼間も、遠くから眺めている間は「うわぁ〜立派なひまわりだなぁ♪」って思うのですが、だんだん近づくにつれて「うぇ〜ぇ。でかッ!」。ホント、圧倒される迫力のあるお花です!
ロマンチックなギリシャ神話の後に、色気のない余談でスイマセン…m(__)m
ところで“ひまわり”と聞くと何か連想されませんか?私の場合、“ひまわり”と聞くと『ゴッホ』でしょうか。うちの母がゴッホ好きで、幼い頃から慣れ親しんだせいもあるかもしれません。ゴッホは、オランダの後期印象派の画家で、代表作のひとつに“ひまわり”があります。ゴッホは、ひまわりの絵をよく描いた画家でもあります。ゴッホの時代、ひまわりは「太陽」「芸術(絵画)」「愛」のシンボルだったそうです。これは、すべてゴッホの愛し求めたものばかり。でも、ゴッホは周りから異常と思われる程、感情の激しい人物だったようで、人との交流を人一倍求めるばかりに、逆に孤独に苦しむ結果となった人。南フランスのアトリエで仲間との共同制作という悲願を達成したゴッホは、ひまわりを描き続けました…が、彼の激しすぎる情熱は友人に受け入れられず、友人との距離感を狂わせ、結果的に彼を自滅の道へと誘ってしまいました。
ゴッホの墓には、“ひまわり”が植えてあるそうです。彼の死後、彼の墓前を訪れる若い画家たちは、その種を記念に持ち帰るそうです。。。
“ひまわり”は見た目の華やかさやインパクトに反して、ちょっと悲しい花なのかもしれません。
あなたにとって“ひまわり”はどんなお花ですか?“ひまわり”を初めて手にしたとき、あなたはどんな風に思いましたか…?
▼グリーンのお留守番
夏休みは、長期でお出かけする機会が増えますね。そんな時、お部屋のグリーンたちはお留守番になります。
木のものは乾燥に強いので、1週間程度の留守番なら、出かける前にたっぷりとお水をあげれば大丈夫でしょう。葉ものや植花には市販の給水器を利用するのがおすすめです。チューブで給水するタイプや、陶器などに水を入れて土に差し込むタイプなどいろいろと出回っています。
長期にお出かけの時は、グリーンたちのことも忘れないであげてくださいね♪
Posted by お日さま探訪員2号| 時事通信〜向日葵
<No031
>Aug-2008

『“蝉の声”が教えてくれたいろいろなコト』
ミーンミンミンミンミィ〜ン…今年も賑やかに蝉の声が聞こえています。
「あぁ〜夏だっ!今年も夏が来たんだなぁ〜」と毎年、当たり前のように耳にする蝉の声ですが、今年はちょっと違いました。大抵、我が家の近所では毎年7月1日に蝉の第一声が聞こえてきます。何故か不思議なことに、毎年7月1日なんですっ!でも、今年は違いました…。
そろそろクーラーかけても許される暑さになってきたかなぁ〜と思った7月初旬。でも、何だかクーラーをつけるには、決定的に何かが足りないような気がして。そのコトが何かわからず気になって、クーラーのスイッチを押すことなく、うちわを片手に過ごしておりました。「近頃、地球エコが話題になっているからかなぁ〜」と思っておりましたが、その原因が7月6日午前4時20分に判明!原因は“蝉の声”だったのです。
7月6日に蝉の第一声を聞くまで、7月に入ったのに蝉が鳴いていないことに全く気付いてはおりませんでした。聞こえて初めてその事態に気付いた…というわけです。蝉の声で目覚めて「あぁ〜コレだったんだ。足りなかったものって…」と。
しかしその後、大きな不安がずっと心をよぎり始めました。蝉の声がどう聞いても“1匹”だけなんです。蝉の第一声を聞いてから、2日経っても3日経っても…。「今年の蝉は1匹だけ?うそでしょ?」
1匹しか蝉がいないので、ず〜と蝉の声が聞こえているわけではなくて(…もちろん蝉も休憩するわけで)。声が聞こえなくなる度に、「えっ?もう死んじゃったのかも…」と蝉の声を待ち続け、そのうちミーンミンミンミンミィ〜ン…と聞こえてくるとホッと安心。例年のように、耳鳴りのようにずっと頭に響き続ける蝉の声はありません。「どうして?なんで今年は1匹なん?数年前に何があった?もしかしたらこの蝉が今年最初で最後の蝉…?」これはもしかして大問題かもっ!…と早速、家族会議を開きました(そんな大げさなものではありませんが…)。
数年前と今との違い。数年前に家の周りで初めて行われたコト…。家の前の雑木林が駐車場になったのは、今から30年前のこと。家の前の道路がアスファルトに舗装されたのも30年程前のこと。その頃も、蝉が「さぁ〜そろそろ地上に出るかぁ!」と地上を目指してびっくり!なんてコトになるんじゃないかと子供心に心配しておりましたが、どうやって出てきたのか…蝉の声はその後も途切れることはありませんでした。でも、結局出口が見つからず、幼虫のまま逝ってしまった蝉達もたくさんいたでしょう。無事に地上に出てきても、羽化するために必要な木が見つからずに地面を歩き回ってそのまま逝ってしまった蝉達もいたに違いありません。
以前、テレビで見たことがあるのですが、森だった場所の木を伐採して芝生の公園になった場所…残された木は公園の中央に1本きり。数年後、その公園の異常な光景が報道されておりました。その1本きり残された木に、数千?数万?匹の蝉の幼虫が群がっていました。全ての幼虫達はその木を目指して地表を歩き、公園中足の踏み場もない程でした。運よく木にたどり着き、上を目指して登り始めても、既に木は蝉の幼虫だらけ。木を登っている蝉の幼虫の上を、蝉の幼虫が2重、3重に登って行く…耐え切れずに落っこちる幼虫達。そんな命をかけた攻防戦も、日の出とともに終盤を迎え、運よく羽化できた蝉は高らかに鳴き、羽化途中の蝉はそのまま地面に落ち、木の周りはもちろん公園の地面の上には数千、数万の蝉の幼虫たちの無言の叫びが…。太陽が昇り、日光に照らされた幼虫達の殻は茶色く染まり、硬くなってしまって、もう殻から出ることもできず、羽化することも地下に戻ることもできず。。。
蝉の羽化
公園の清掃が始まり、物凄い数の命がゴミとなっていくその光景は、悲惨で異様なものでした。翌日もその翌日も同じことが繰り返され…いつからかその報道はなされなくなっていきました。世界中によく似た現象が続出し、当たり前のコトになってしまって、感覚がマヒしたのでしょうか?そんな蝉の様子は、トピックスにもニュースにもならなくなったわけです。そのような光景は、もう日常化されてしまった…!?
「蝉って大変ねぇ〜」「うぇ〜気持ちわるっ」そんな言葉でこの映像を片付けてしまったら、もう地球の未来はないように思います。自然に手を加える時には、もっともっと様々なコトを考えつくさなければ…。
公園に1本の木を残したのも、蝉のために…ではなく、公園のシンボルとして…という感じではなかったのでしょうか?そのおかげで、いくらかの命は助かったものの、人間の都合で物凄い数の命を奪ったことをもっと真摯に受け止め、反省し、この教訓を忘れることなく、償いをすべきだと思います。あの不気味なまでに異様な光景は、人類への警告なのですから。。。
…話はもどって、我が家の周りで数年前に始めて行われたコト。家族会議で判明したのは、“除草剤の散布”でした。毎年、町内では夏場になる前と夏場に2度程、“町内の除草作業”という行事がありました。回覧板で日程のお知らせが回ってきて、子供会・婦人会・老人会…等で分担が決められていて、その作業にあたるのが恒例でした。でも、5年前からそのお知らせはなくなり、回覧板には“除草剤散布のお知らせ”に変わったのでした。除草剤を散布された日から次に雨が降るまでは、絶対に辺りの草などを触らないように!外出から帰ったら必ず手を洗いましょう!…そんな連絡に変わったことを思い出しました。その当時は、「夏の草むしりなくなったんやぁ〜よかったね。」なんて会話…反省です。こんな身近でも、自然破壊が自分達の手で実行されていて、そのことに気付いたのが今年の夏。人間って生き物は、どこまで愚かなのでしょう。
その日、娘は「世界最後の蝉」となるかもしれない蝉を見つけ出し、デジカメで撮影して、この現状をレポートにして学校に提出しました。そして、クラスでこのコトについて話し合いを行ったようです。

もちろんこの行動が原因ではないと思いますが、その翌々日に2匹目の蝉の声が聞こえたのです!それから、だんだんと蝉の声が増えはじめ、去年と同じ…とは言えませんが、ミーンミン、ジージーと賑やかな声が響き始めました!!!
↑世界最後の蝉…!?
(撮影:娘M)
毎年、うるさい蝉の声。この蝉の声を聞いて、これ程に安堵したことは今までありませんでした。蝉の声のない夏なんて、やっぱりありえない!
夏休みに入り、虫取り網を持った子供たちが我が家の前の桜並木に現れ始めました。この平和な光景がいつまでも続くことを、切実に思う今年の夏の始まりでした。。。
8月にはいると“田舎”は人口が増えだし(笑)、お盆の頃にピークを迎えます。
故郷を離れていた人々が帰郷するからです。他府県ナンバーの車が空き地や道路に駐車され、桜並木の蝉取り人口も急増します。
一時期その人口増加もそれ程ではなくなった時がありました。その時期は、海外旅行に出かける人々が増加していましたねぇ〜。今年あたりは、“田舎”の人口が増えそうな予感です。不景気になると、「今年は、田舎のおばあちゃんとこにでも行くかぁ〜。宿泊費も食費も節約できるしぃ〜」って感じなのでしょうか?まぁ〜それでも、田舎のおじいちゃん、おばあちゃん達は久々に会う子供達や孫達に大喜びで、お互いにハッピーになれるわけですから、一応…帰郷は大歓迎です。
でも、いわゆる“都会育ち”の子供達にはちょっとビックリでちょっと迷惑しております…^_^;
田舎にやってきた“都会育ち”の子供達は、虫取り網を持って蝉取りにやって来るわけですが、人の家の敷地内に何の躊躇もなく足を踏み入れて、庭を荒らすのはやめていただきたいっ!
ふと窓の外を見ると、うちの庭に数人の子供が…挨拶をするでもなく、蝉に夢中です。そして、庭に植えてある花などに全く気を取られることなく踏み倒し、食べごろのトマトを勝手にちぎって持って帰る。。。「えっ?信じられなぁ〜い…」って感じです。
田舎の家は、都会の家とはちがって、コンクリートの塀や鉄格子?のようなフェンスで区画されていないことがどうも原因のようですねぇ〜勝手に“ヒトん宅”に入っていること自体に全く気付いていない様子です。一応、生垣で区分されているのですが、直接、地植えされた生垣は、自然に生えている木と区別がつかない…!?庭に植えてある草木たちも同様で、雑草との区別がつかないみたいです。だから、踏み散らかしていても全く気にもとめない…。もしかすると、これも“除草剤”の影響かも!?最近、学校では、いわゆる“草むしり(除草作業)”がないところが多いようですから。蝉取りに夢中になって気付かないのではなく、本当に「雑草」と「雑草以外」の見分けがつかないのかも…?(娘の学校も、夏休み中に保護者による“草むしり(除草作業)”はありますが、生徒による“草むしり(除草作業)”はありませんし…)
トマトも自然に生えている…と思っているのかなぁ〜「うわぁ〜これってトマト?」って感激しているまではいいのですが、黙ってちぎって持ってかえる…チョット理解不能です。花は、花屋に売っているモノ。トマトはスーパーに売っているモノ。。。呆れ返るお盆が今年もまたやって来るぅ〜!
この光景を見るにつけ、腹が立つ…よりも、これからの日本を憂う心の方が先立ってしまいます。だってこの光景ってね、子供たちだけの場合ではなくて、親が一緒の時もあるんですから…^_^; 
“都会育ち”の親…そしてその子供。。。これってどうしたらいいんでしょ。知らないのなら、誰かが教えてあげなければいけないコトなのでしょうが、注意すると「すいませんねぇ〜」と逆ギレっぽく言われ、その後も「あぁ〜コワ。」ってな感じで、文句を言いながら歩いていくんですからねぇ〜悲しくてこっちが落ち込みます。
ちぎったトマトも、おいしそうだったから…なんて理由で、おいしく食べてくれればまだいいんですけど、途中の道路に捨ててあったりするし…悲しさ倍増です。
でも、そんな人たちばかりではないのがまだ救いですかねぇ〜。自分の子供時代を思い出して、蝉取りに夢中になる“おっちゃん”(笑)とか、「トマトってこういう風になるんだよっ。」と子供に説明しているお母さんとかも見かけます。今年もこんな“おっちゃん”や“お母さん”に会えるといいなぁ♪
もうすぐお盆です。海外旅行もいいですが、久々に“田舎”に帰郷して、日本の自然を再認識してみてください。そして、自分が故郷を離れた時と、今との違いを探して、家族に話してみてください。地元にずっと住んでいると、自分達が知らず知らずにやってしまっている「自然破壊」に気がつかないもんなんです。除草剤の散布の一件でそのことを痛感しました。一度壊れたものをモトに戻すことは大変なことです。だから、せめてこれ以上「壊さない」こと…。
畑に“ミミズ”を見かけなくなりました。私が“モグラ”を見たのは、32年前が最後です。“ヘビ”を見かけたのは3年前が最後…小学校の帰り道、ヘビの抜け殻を持って帰っては、母に怒られていたのに。“てんとう虫”を指先に止まらせることもありません。蝉の死骸を一生懸命に運ぶ“アリ”の姿も最近は見なくなりました。。。。
最近は、“水”に関するうれしいニュースをよく耳にします…「川に蛍が帰ってきた」とか。次は、“土”にも今まで異常に関心を寄せなければならないようです。土の中にも、人間が生きていくために必要不可欠なものがたくさんあります。真夏なのに、枯れているノッパラ…緑の世界の中で、その場所だけが異様な色に浮き上がっています。地表でもそれだけの異様さを感じるのだから、地中ではもっと悲惨なことが起こっているのでは…。
“田舎”を離れていたからこそ、“田舎”の変化にいっぱい気付くはず…。
そして、たまにはゆっくり思い出話をしながら、うちわ片手に“暑い夏”を楽しんでみてはいかがでしょうか?


賑やかな“蝉の声”を聞きながら、
そして来年もこの賑やかな夏を迎えられるように。。。
Posted by 地球環境探訪員2号| 時事通信〜蝉の声
<No032
>Aug-2008

『“河童”のために…!?』
河童(かっぱ)は、日本の代表的な妖怪?龍のような伝説上の動物?それともツチノコと並んで日本を代表する未確認生物?
夏になって川遊びに行く頃になると、決まっておじいちゃんが「河童に引きずり込まれないように気ぃつけやぁ。」と出かける前に言われたもんです。今は、そんなことは言わない?…って言うか、川に遊びに行くことがなくなったような気がします。私の住んでいる辺りは、まだまだ自然がいっぱいの“田舎”ではありますが、近くで泳げるような川はありません。近所の川は全て護岸工事がされ、コンクリート護岸の川ばかり。そんな川で泳いだら…いやぁ〜入っただけで溺れてしまう!
裸足に川底の砂利や石ころがちょっと痛くて、ビーチサンダルと水中メガネと網とバケツが必須アイテム。川に住む小さな魚や虫たちを捕獲して持ち帰っては「可哀想やから明日、川に戻してくるんやで。」と母に言われ、翌日には一晩を一緒に過ごした魚や虫たちを戻しにまた川へ遊びに行く。それが、夏休みの日課でした。雨が降ったり、台風で川が増水したり、他に用事があって川に行けない間に、連れて帰ってきた魚や虫たちが死んでしまった時には、おじいちゃんに「あぁ〜あ、可哀想に。河童が怒りに来るぞぉ。」と脅されて、裏庭に魚と虫たちのお墓を作って河童が来ないようにひたすら謝り、夜は早くに布団にはいったもんです。
私にとって、河童は動物…というより妖怪とか川の守り神のような存在です。それもチョット怖い系です。
今どきの子供たちの河童のイメージは、かわいい〜って感じらしいですが、それは河童のキャラクターや描かれるイラストに影響されていると思います。河川や湖沼の水質汚染防止や環境保護のマスコットキャラクターとして河童が愛くるしい姿で書かれた看板が立てられていたりするのをよく目にしますし、アニメやグッズのキャラとしても河童のイラストはたくさんありますよね。“河童”っていうより“カッパ”って感じ♪
でも、私の時代は、河童の絵と言えば、お寺に秘蔵されているおどろおどろしい掛け軸とか、昔むかしの文献の挿絵に描かれている河童が主流でした。夏になると放送されるテレビの“納涼!怪奇特集”のような番組で、幽霊の掛け軸同様によく紹介されていたのが印象的です。そういう番組では、河童のミイラも紹介されていましたねぇ〜。“河童の手”のミイラとかが、綿で包まれて桐の箱に入ってて…^_^;「あぁ〜本当ですっ!指の間に水かきのようなモノがありますっ!!!!」なんてレポーターが叫んでいたのを思い出します。でも、河童のミイラや河童の骨と言われるものの多くは、江戸時代にミイラ造形師が動物の部品を組み合わせて作った物なのだとか…。
はたして今どきの子供たちは、河童を知っているのでしょうか?もしかすると、かわいいぃ〜というイメージだけで、河童が川に住んでいることも知らないのかも。だって、“河童”っていうより“カッパ”ですから…^_^;
地方によっていろいろと違うかもしれませんが、私が幼い頃からおじいちゃんやおばあちゃんに語ってもらった河童はと言うと…
川に住んでいて体は緑色。
背丈は大人ほどはなくて、小学生ぐらいの中肉中背。
頭のてっぺんにお皿があって、このお皿の水がなくなると力がなくなって衰弱してしまい、そのままの状態が長く続くと死んでしまうし、お皿が割れても死んでしまう。
口は嘴(くちばし)のようで、背中には亀の甲羅のようなものがついている。
生臭い。
手足には水掻きがあって、泳ぎが得意。
手を引っ張ると、もう一方の手が短くなってすっぽ抜けてしまうこともある。
好きな食べ物はきゅうり。お酒も好き。
泳いでいる人の足を引っ張って水中に引き込み溺れさせる。
律儀な性格。
相撲が大好き。
…って感じですかね。
補足するなら、「泳いでいる人の足を引っ張って水中に引き込み溺れさせる」というのは、川で遊ぶ時はいつも注意しなければいけないという教訓めいた意味もあり、「深いところや流れの速いところに行ったら河童がいるよ!」とよく言われたもので、河童に足を引っ張られたら怖いので、確かに深いところや流れの速いところには近づきませんでしたね。
また「律儀な性格」というのは、恩を受けたりすると、一生懸命に尽くしてくれる…というものです。また、河童は人間に対して危害を及ぼした時、捕まえられたりすると、すぐに自分の非を認め、高い代償を払ってくれます。そして、河童は約束したことについて、体がぼろぼろになるまで約束を実行し、それこそ命を削ってでも守り抜く律儀なヤツなのだそうです。でも、これ以上になると死んでしまうぅ〜という寸前になると、「これこれこういう理由で、明日からは約束は守れませんので…」とわざわざ言いに来てくれるのだそうですよ。またまた、これが河童らしいところって感じがするのですが、非常に律儀な性格です…(笑)。
そんな性格は、やっぱり河童が川の神様だからなのかなぁ〜。でも、「千と千尋の神隠し」を見た時、川の神様は“龍(竜)”でしたよね。そうなると、河童は川の神様の召使い的な存在なのかなぁ〜。『河童の神通力』って言葉があります。小さい頃は「ジンツーリキ」って何なのかよくわからなくて、ただ何となく「スゴイ力なんだぁ〜」って思ってました。「神通力」って、神様に通じる力…なんですね。
それから「相撲が大好き」って言うのがチョット質が悪いかな。相撲が大好きで、よく子供を相撲に誘うわけですが、子供が負ければ尻に手を入れて肝を抜く…肝を抜かれた子供は“腑抜け”になってしまうそうです。河童は大人よりも力が強いので、大抵子供は負けてしまいますが、仏前に供えた飯を食べた後に河童と相撲をとれば、河童に勝てるそうです。…でも、河童に勝つと、他の河童もいっぱいやってきてボコボコにされるらしいとか。どっちにしろ、河童と相撲はしない方がいい…というわけです。
▼河童民話資料館
http://kappauv.com/sub3/sub304.html
▼妖怪キッズ(妖怪:かっぱ)
http://www7a.biglobe.ne.jp/~youkai-kids/10-kappa/kappa.html
私は現在、とある城下町に住んでいるのですが、この夏休みのイベントで『河童を探しに行こう!』というものがあることを小耳にしました。
夏休みに入ってすぐの頃、まず河童を探しに行きます。河童を探すにあたり、まずは情報収集。地元のおじいさんに河童についてお話を聞きます。それからいざ城のお堀に出発!河童を探します。
8月の中旬頃に再度メンバーが集まって、2日間かけて自分が見つけた河童を創作します。地元の方々も、城のお堀を創作し、子供達が創作した河童を発表するためのステージ作りをします。創作過程で、皆が河童について語り合い、年齢を超えてコミュニケーションを深めるわけです。
夏休み最終日、皆の作品を展示発表します。皆が力を合せて創作した河童の分布地図的な作品が舞台となり、そこでプロの俳優さんが独り芝居で河童のお話を演じます。もちろん、メンバーの飛び入り出演もあり♪
なかなか魅力的な、夢のあるイベントだと思いませんか?ちょっとワクワクしますよね。城のお堀に河童はいるのかなぁ〜。
一応、河童を探すわけですが、河童を探しつつ、水辺の生物を観察したりもするわけです…。でも、そんなコトを言うとロマンがなくなっちゃうので、あくまでも「河童を探す」ということで。。。ターゲットは“河童”ですっ!
はてさて、河童(かっぱ)は、日本の代表的な妖怪?龍のような伝説上の動物?それともツチノコと並んで日本を代表する未確認生物なのでしょうか?
今年でしたっけ?ツチノコを発見した…という報道があったのは。結局、ツチノコだと認定はされなかったような気がしますが、日本全国ではツチノコ探索に懸賞金がかかっている地域もあるとか。
ツチノコって、ヘビの太短いっぽいヤツ(…表現に語弊があるかもしれませんがスイマセン)ですよね。これは、妖怪って感じはしませんし、未確認生物って感じがします。
“河童”は?河童が未確認生物なら、“天狗”も未確認生物になるのでは…と思うのは私だけでしょうか。河童がいるなら、天狗もいるような気がしませんか?でも、天狗は未確認生物とは言われませんよね。この違いは何?
“河童”は、“ツチノコ”と同様に現在の日本でも極たまにですが目撃情報が存在するから…というのが理由ではないかと思います。随分前ですが、“河童”の目撃情報が連日報道されていた時がありました。警察が駆けつけて調査したら、河童の足跡が残っていた…とか。
もしかしたら、本当に河童は存在するのかも?そうなると“河童”は絶滅寸前の未知の水棲生物?
「かっぱ淵」…もちろん“河童”はいないけど。。。
河童は、コンクリートの護岸の川には住めません。だから、今は日本の原生林の中を流れる山奥の自然の川に、絶滅寸前で秘かに生息しているのかも…。“河童”が絶滅種になってしまう前に、私たちはもっと自然を取り戻すための努力をしなければ!だって、自然を壊したのは河童ではなくて、私達“人間”なのです。だから当然、壊したものをもとに戻すのも、私達“人間”の義務です。人間のせいで、今“河童”が山の奥深くの小さな沢でひっそりと生き延びて絶滅に瀕しているのなら、河童に対して“人間”が危害を及ぼしたことになります。河童のように「律儀な性格」で、“人間”の非を認め、約束しましょう!“河童”が住める環境を取り戻すことを。
さぁ〜今日から…今から、自分にできることから始めましょ!
自分のために、自分の大切な人のために、
未来の子供達のために…
そして、“河童”のために。。。
Posted by 妖怪&未確認生物探訪員2号| 時事通信〜河童
<No033
>-Aug2008
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《なんだか似てるね、この二つ》シリーズ〜【4】-第4弾-

「本邦最初鉄筋混凝土橋…日ノ岡第11号橋」

日本で最初に造られたと言われている鉄筋コンクリート製の建造物は、京都市山科区日ノ岡堤谷町の琵琶湖疎水に架かる全長7.3m全幅1.5mのアーチ橋です。橋と呼ぶには余りに規模の小さいものですが、コンクリートの厚みが30cmあり、現在もなお現役の橋としてその役目を果たし続けています。
1903年(明治36年)竣工、土木技師・田辺朔郎(たなべさくろう1861年〜1944年工学博士)の設計で「日ノ岡第11号橋」というのが正式な名称です。
工部大学校(現東京大学)卒論に琵琶湖疎水計画を書いた田辺朔郎(京都市)
「琵琶湖疎水」 明治14年(1881年)に就任した京都府3代目知事・北垣国道は、明治2年(1869年)の東京遷都で急激に衰退した京都経済の復興策として、琵琶湖から京都に水を引き、水車動力、舟運、灌漑(かんがい)、精米水車、防火、井泉、衛生を目的とした疎水工事を計画した。そのとき、田辺朔郎技師、嶋田道生測量士ら技術陣を率い、行政関係者、上京・下京連合区会、市民らと共に、明治18年(1885年)8月に着工、4年8ヶ月後の明治23年(1890年)4月、就労者数400万人、125万円余りという莫大な費用をかけて、大津の琵琶湖取水地点から鴨川落合まで11.1kmの疎水が完成した。(参考文献:水路閣、琵琶湖疎水)
コンクリートの材料であるセメントの我が国における歴史は浅く、それまでは石灰岩を消石灰に加工し、ふのり、粘土などを混ぜて作る「漆喰」が建築にはよく使われていました。セメント、コンクリートが日本の建造物に使われるようになるのは明治中期以後です。
我が国で初めてセメントの製造に着手したのは、1875年(明治8年)東京深川のプラント工場で、欧米のセメント技術を研究してきた技師・宇都宮三郎が、ポルトランドセメント(石灰と粘土を主成分とする代表的な水硬性セメント1824年英国のレンガ職人アスプディンが発明した・Joseph Aspdin)の実用化に成功しました。以後現在に至るまで、日本のセメントは、ほぼ100%国内産石灰岩を使用しており、工業製品の原材料として輸入に頼らないものは非常に稀です。
セメントの歴史は古く今から約9000年遡る。ピラミッドにも使われていた形跡が(イメージ)
今から約140年ほど前、フランスの植木鉢職人がモルタルに網状の針金を入れて植木鉢を焼いたところ、薄くひび割れない丈夫な鉢が完成しました(ジョセフ・モニエ1867年鉄網で補強したセメント製植木鉢の特許を取得)。これが広まり、土木建築に応用され始めたと言われています(鉄筋コンクリートの誕生)。
圧縮に強いコンクリートと引張りに強い鉄筋を組み合わせた鉄筋コンクリ ート造(RC造)は、1880年代後半にドイツのケーネン(E. M. Koenen)が引 張り鉄筋を考案し、1892年にフランスのアネビク(F. Hennebique)がせん断補強筋を発明して技術的に確立され発展しました。
鉄筋コンクリートの原型は植木鉢でした!(イメージ)
田辺朔郎が琵琶湖疏水系に米蘭(メラン)式鉄筋コンクリート橋「第11号橋」を建設したのは明治36年(1903年)ですが、オーストリアのメランが「吊橋のたわみの理論」を発表したのが明治21年(1888年)であり、メラン式鉄筋コンクリートの特許が発表されたのは明治25年(1892年)ですから、メラン式アーチ型の構造は鉄筋コンクリートの中でも非常に新しい技術であったと言えます。そのため、朔郎は設計データ採取のためのテスト用として「第11号橋」を建造し、そのデータにもとづき実用橋「第10号橋(山ノ上橋)」を建造しました。この両橋は百余年を経過した今も歩道橋として使用されています。
「山ノ上橋」こちらも日本初のコンクリートアーチ橋(1904年・明治37年竣工)
Posted by Vabbitkun| 不動産トピックス<No068-001>Aug-2008

「航路標識番号2473−F6248」

正式名称・清水灯台
清水灯台は、静岡県清水市三保、北緯 35度00分38秒、 東経 138度31分50秒三保半島東端にあり、清水港に入港する船舶の航路標識として重要な役割を担っています。周辺は日本平自然公園と三保の松原で有名な景勝地で、その松林の中に立っていることから、地元では「三保灯台」の愛称で呼ばれています。
明治の初め、近代工法を用いた灯台が日本の主要な港に配置されました。現在でも当時の姿を残し現役の航路標識として機能している灯台は67基あり、歴史的、文化的な価値を有する特に評価の高い灯台23基がAランクに登録されています。
コンクリート造として現存する日本最古の鞍埼灯台(宮崎県南那珂郡・社団法人燈光会資料)
明治45年(1912年)3月に完成点灯を開始した清水灯台は、日本で始めて鉄筋コンクリート構造を採用した灯台です。灯台は設置条件の違いから木造、レンガ造、石造、コンクリート造なども多く、耐震性に優れた鉄筋コンクリートの採用と共に、灯台の高さも飛躍的に伸ばすことが可能になりました。
東洋一の高さを誇る日御碕灯台(島根県出雲市大社町・石造)
清水灯台の高さは構造物として17.73m、海面から光源までは約21mです。日本の灯台で最も高いものは、島根県出雲の日御碕灯台(石造)です。その高さは基礎から頂部まで43.65m、明治36年の建設当時から現在に至るまで我が国最高の灯塔として王座に君臨しています。石工技術にかけては古来、築城の経験などから伝統的技術を有していたので、精緻な技術と造形美を誇るこの石造の大灯台を日本人の設計・施工によって造り上げることが出来ました。昭和48年京都大学工学部の研究室が、振動実験をこの日御碕灯台で行いましたが、風化劣化、老朽は認められず、日本の技術の高さを証明しました。しかし、昨今、耐震補強の必要性が高まり、平成5年から6年にかけて一定の保全措置を講じています。
今も現役、日本最初のオール鉄筋コンクリート建築(明治44年竣工・三井物産横浜ビルディング)
Posted by Vabbitkun| 不動産トピックス<No068-002>Aug-2008
「日ノ岡第11号橋」と「清水灯台」
「日ノ岡第11号橋」と「清水灯台」。共に明治の産業革命から生まれた鉄筋コンクリート構造という近代技術の先駆として、現在もなおその機能と形を留めています。鉄とセメントという原料から生まれる鉄筋コンクリートという素材は、木材や天然石と比較してともすれば化学工業製品のごとく見られがちですが、元は石灰岩と鉄鉱石から成る天然製品です。地震の多発帯に位置する日本の国土に、最も適した建築材料として明治時代からその研究がなされ、より強度の高いコンクリートが開発されてきました。
上手く使えばその特性は私たちの命を守る最強の鎧として機能するはずです。世間を震撼させた耐震強度偽装や海砂使用による粗悪な材料、不純物の混合によるコスト重視の似非(えせ)コンクリートは、琵琶湖疎水の清流に洗われ、清水灯台の閃光に照らされて、その恥を知ることになるのです。
安全を守るのは…(PHOT:James Jordan)
Posted by Vabbitkun| 不動産トピックス<No068-003>Aug-2008

似ているようでも全然違う法律用語

『文書偽造』

公文書偽造!!??(イメージ写真:なめ猫免許証)
一般的には、「文書偽造」というと「私文書偽造」または「公文書偽造」の罪が頭に浮かび、文書偽造罪の体系をイメージする方がほとんどではないだろうか。確かにその区分の意味はあるが、大きく私文書と公文書に分けて刑法上に規定されているのでは決して無い。
刑法の第17章を構成するのが「文書偽造の罪」全般であり、文書の信用を社会的法益(法令が行為の規制によりもたらす一般社会の利益)とする社会的概念から作られた法令である。
詔書偽造等の罪(刑法154条)、公文書偽造等の罪(155条)、虚偽公文書作成等の罪(156条)、公正証書原本不実記載等の罪(157条)、偽造公文書行使等の罪(158条)、私文書偽造等の罪(159条)、虚偽診断書等作成罪(160条)、偽造私文書等行使罪(161条)、電磁的記録不正作出及び供用の罪(161条の2)にそれぞれ分類される。
電磁的記録…CSVファイルも文書ですよ!(イメージ写真)
広い意味の文書偽造は、狭義の文書偽造である「有形偽造(許可無く他人の名称、印章を使用し文書を作成する)」と「無形偽造(作成権限者が内容の点で偽りの文書を作成する)」に大別される。刑法は有形偽造と区別して、後者を「虚偽文書」または「虚偽、不実の記載」と呼ぶ。取引の安全と社会的利益の保護のためには、文書の内容よりも責任の所在に偽りが無いことを最も重要視し、有形偽造を中心として文書偽造を処罰し、無形偽造については特に重要な場合について罰することにしている(虚偽公文書作成等の罪(156条)、公正証書原本不実記載等の罪(157条)、虚偽診断書等作成罪(160条)が無形偽造についての規定)。原則的には無形偽造の罪は公文書に限るのであり、160条を例外として私文書については処罰されないのである。
何気ない改ざんがとんでもない結果に…(イメージ写真:東京警視庁)
「偽造」とは、他人の作成名義を偽り、文書・図画を作成し、または内容の偽った文書・図画を作成することを意味する。有形偽造には広義に「変造」も含むと解釈される。「変造」とは、他人名義の文書に権限無く変更を加えることである。新たに他人名義の文書を作成するのではない点で「偽造」とは区別される。ただし、変造が文書の内容そのものを変えてしまう部分に及ぶ場合は、偽造と看做される。
「三河一色産中国うなぎ?・有限会社一色フード作」(写真:農林水産省)
そこで、今、巷を騒がせている「中国産蒲焼きうなぎ産地偽装事件」を文書偽造の観点から考えてみよう。
株式会社魚秀(本社:大阪市中央区平野町3丁目4番9号)及び神港魚類株式会社(本社:神戸市兵庫区中之島1丁目1番1号)は、中国産うなぎ蒲焼きに、製造や販売の実態のない架空会社を表示し、愛知県三河一色産として販売していたことを確認した。
株式会社魚秀は、平成20年3月4日から平成20年4月16日までの間、原料原産地が中国産であるうなぎ蒲焼きに「愛知県三河一色産」と事実と異なる原料原産地を表示して出荷し、神港魚類株式会社は当該商品に、「愛知県三河一色産」の原料原産地及び「有限会社一色フード」の製造者表示に係る、事実と異なる不適正な表示がされたものが含まれていることを認識していたことが判明した。(農林水産省発表2008.6.25)
この事件では、公正取引委員会の不当表示に基づく勧告や、JAS法違反(第19条の14第1項)などが摘発の根拠とされているが、捜査が進むにつれ、当事者は当然私文書偽造の罪にも問われることになるはずだ。今回の不当表示が、文書偽造のどの規定によって処罰されるか、さあ、分かりますか?
(私文書偽造等)
第159条 行使の目的で、他人の印章若しくは署名を使用して権利、義務若しくは事実証明に関する文書若しくは図画を偽造し、又は偽造した他人の印章若しくは署名を使用して権利、義務若しくは事実証明に関する文書若しくは図画を偽造した者は、三月以上五年以下の懲役に処する。
他人が押印し又は署名した権利、義務又は事実証明に関する文書又は図画を変造した者も、前項と同様とする。
前二項に規定するもののほか、権利、義務又は事実証明に関する文書又は図画を偽造し、又は変造した者は、一年以下の懲役又は十万円以下の罰金に処する。
『株式会社魚秀は、架空の会社と虚偽の産地を商品ラベルに記載し、それを神港魚類株式会社に卸した。商品ラベルも文書にあたり、嘘を記載し行使したから私文書偽造同行使で処罰される!…』。そうでしょうか?

魚秀は民間会社であるから商品ラベルが公文書ではないことは明白である。しかし、内容虚偽の文書を作成することは無形偽造であり、無形偽造が処罰されるのは公文書に限られる。従って魚秀を無形偽造で処罰することは出来ないのである。さらに、存在しない会社名と所在地を記載することは、私文書偽造の「他人の印章若しくは署名を使用して」という要件には当たらない。

つまり本件では、魚秀が商品ラベルに「虚偽、不実の記載」をして行使したことが罪に問われるのではなく、159条3項の規定による「その他事実証明に関する文書を偽造したこと」により処罰の対象となり、神港魚類は偽造された商品ラベルであることを認識しながら流通させたことが161条の「偽造私文書行使」によって罰せられると考えなければならない。これは同じ私文書偽造であっても法定刑が異なるという点で重要なことなのである。

うなぎをよろしく(写真:浜松市観光課)
Posted by Vabbitkun| 法律用語トピックス<No004>Aug-2008

★関西イベント特集★

「丹波篠山デカンショ祭り」

暑い!!!いやホント、冗談抜きで今年の夏も暑いです!ラビットクラブのみんな、お盆休みの計画はしっかり立てましたか?
8月の関西イベントはこれ!「デカンショ〜デカンショ〜で半年暮ら〜す(ヨイヨイ!)」で全国的にも有名なデカンショ祭りの丹波篠山へ行ってみませんか!?
第56回デカンショ祭りポスター(篠山市役所・デカンショ祭実行委員会提供)
2008年デカンショ祭りは8月15日・16日開催
場所:兵庫県篠山市篠山城址 三の丸広場周辺
時間:15日・16日共12:00〜22:00頃まで(催しの内容により異なります)
「デカンショ祭りとは」
1953年、デカンショ節を後世に残そうと、篠山川河川敷で行なわれた盆踊りがその祭りの始まりとか。日本屈指の民謡と名高いデカンショ節と盆踊りに見られる輪踊りを合体させたお祭りです。
デカンショ祭りは2日間で述べ15万人が訪れる日本最大級の盆踊り(提供:(社)兵庫ツーリズム)
「デカンショ節アラカルト」
江戸時代中期の頃より、兵庫県篠山地方(丹波国)で謡い継がれてきた「みつ節」がその原曲だそうです。デカンショ節には何百もの歌詞があるそうで、どれが正しいというよりも、すべてその時代に生まれた「デカンショ節」なんだそうです。
デカンショ記念像(篠山市役所前)
「チョー有名デカンショ節ならこれだ!」
「丹波篠山山家の猿が(ヨイヨイ)花のお江戸で芝居する(ヨオーイ ヨオーイ デカンショ)」
「デカンショデカンショで半年暮らす(ヨイヨイ)あとの半年寝て暮らす(ヨオーイ ヨオーイ デカンショ)」
「丹波篠山鳳鳴の塾で(ヨイヨイ)文武鍛えし美少年(ヨオーイ ヨオーイ デカンショ)」
「丹波篠山山奥なれど(ヨイヨイ)霧の降るときゃ海の底(ヨオーイ ヨオーイ デカンショ)」
子供衆の踊り歩き(写真:玉水子ども会)
1998年、デカンショ節の歌詞を統一しようと「デカンショ節100年記念事業実行委員会」は、数多く謡われ続けてきた歌詞の中から代表的な10詞を選びました。「デカンショ〜デカンショで半年暮らす」という節回しは大変有名で、篠山の気候、風土、気質を謡っており、「丹波篠山(たんばささやま)」という地名の響きに乗せて「篠山」を全国区にしてきました。無形文化財であるデカンショ節は、教育委員会の認定も受け、郷土の文化として今後も後世に伝えてゆく取り組みがなされています。
「デカンショ節の秘密」
旧篠山藩・青山家の奨励によって、廃藩後郷土の秀才を年々東京に遊学させ、多くの秀才を養成した。その遊学生たちは、夏になると房州八幡の浜(現在の館山市)にやってきた。明治31年(1898年)の夏、江戸屋旅館の二階で青山忠允など篠山出身の若者達が蛮声を張り上げて唄っていたのが郷土の盆踊りの唄であった。そのとき階下に居合わせた一高生(現東京大学)の水泳部員達がこれを聞きながら、唄の野性味、またその節廻しやリズム感に共鳴し、篠山出身の若者達に付添っていた亘理章三郎(東京高等師範学校教授)らから唄の指導をうけ、意気投合、彼らは東京に帰ってから自由気ままにこれを唄いまくったそうだ。これがたちまち多くの学生や若者の共感を得て愛唱されるようになり、全国に広まったといわれている。(篠山100年史)
青山忠允と学友達(提供:篠山市役所)
「デカンショ…知られざる語源」
「デカンショ」の語源はといえば、「出稼ぎしよう」「ドッコイショ⇒デッコンショ」「天下の将⇒デカンショ」とか、色んな説があります。それぞれに信憑性がありそうですが、地元以外では余り知られていない説がコレ。
 篠山出身の学生達が学んでいた哲学の有名な学者達の名前をもじったもの。「デカルト」「カト」「ショペンハウエル」。学生達の元気な姿を思い浮かべると、この説は中々有力?ともあれ、シャレ気たっぷりの囃子言葉であることには違いありません。
デカンショ祭りのクライマックスは大花火大会(写真:篠山デカンショ祭実行委員会)
Posted by Vabbitkun| 関西イベント特集<No004>Aug-2008

あなたも騙されるかも? 不動産にからむ詐欺
〜ドラマ編ver.26〜
不動産取引というものは、概して大きなお金が動きます。
詐欺を働く輩というものは、これを見逃すわけはありません。
騙されるなんてありえない、自分に限って・・・って思っている、そこのあなた。あなたも、まんまと引っ掛かっているかもしれませんよ。
前回に引き続き、不動産にからむ詐欺について、ドラマ形式にてご紹介していきます。このドラマから、どうすれば被害に遭わないようにできたのかを検証していきましょう。
もちろん、このドラマはフィクションであり、実在の団体や個人とは何の関係もありませんので、ご承知ください。

「気配のある家」〜前編

友子は昨年、15年間の結婚生活にピリオドを打って、都心のマンションから郊外の実家へと帰ってきていた。
子供がいたら、離婚にはならなかったのだろうか?ふと、そう思いながら、子供の頃から見慣れている縁側の向こうの庭を眺めた。特に避妊をしていた訳でもないのだが、夫との間に子供はできなかった。
彼は頻繁に海外に出かける商社マンであり、友子も都内で美容院を経営しており、結婚してからも2人きりの生活を送る日は、数えるほどであった。
一般的な結婚生活とは程遠いものであった。
一般的な結婚生活?
今時、そんな画一した型ってあるのだろうか?
自分たちの結婚生活も、実は、世間の共稼ぎの夫婦と大して変わらなかったのかも?
彼も自分も仕事をすることに充実感や楽しみを感じてしまい、2人の生活の優先順位は2番目3番目になってしまっていた。そうなると、お互いの存在が愛情の対象というよりは、面倒な存在と感じることの大きさを感じてしまっていたのかもしれない。
それでも子供がいれば、彼も自分も、大切なものの優先順位が変わっていたのかもしれない。
実家に戻ってきてそろそろ半年が経とうとしている。
実家の両親との生活は、気持ちも緩んで快適ではあるが、昔から近所づきあいをしていた地元の知人に、戻ってきた理由をいちいち話をしたり、時には誤魔化したりするのが面倒で仕方なかった。
今時、離婚してバツイチになって実家に帰ってくることなんて、よくあることなのだが、それでもやはり、井戸端会議のネタにされているように感じる。
友子が経営している都内の美容院へは車で通勤している。
朝の通勤時間帯では、片道1時間半あまりかかる。それも友子にとっては、ストレスになっていた。
「やっぱり、独り暮しをしようか」
そう考えながら、住宅情報誌をめくる日々を送るようになっていた。
Posted by Vabbitkun| 不動産トピックス<No069-001>Aug-2008
「あっ、これちょっといいかも?」
住宅情報誌をめくりながら目に留まったのは、中古の一戸建てであった。
ちょっと建物は古い感じがするが、この家と同じような懐かしい雰囲気がある家だ。
内装や設備は改装しさえすれば、快適な部屋をつくることができるだろう。
何せその立地は、自分の美容院から車で30分ほど東にいったところなのが、通勤ストレスからの開放を期待させてくれる。
そして、この地元を離れることで、近所の人の好奇な視線からも開放してくれる。
友子は不動産会社に連絡をとり、週明けの月曜日に現地案内を依頼した。
現地近くの不動産会社の事務所へ行くと、20代の若い営業マンが資料を差し出し物件の説明をしてくれた。
「それでは、現地へ行きましょう」
そう言う営業マンの髪が、茶色に染められているのを見て、会社員も画一的な型っていうのが無くなっているのだろうと、先日の自身の言葉を思い返していた。
不動産会社から車で10分余りの場所に、建物は立っていた。
30年ほど昔の建物と、まだ新しい建物が混在した住宅街。昔の建物の敷地は少し大きめで、新しい建物が立つ敷地は、その半分くらいの大きさである。新しい建物は、昔の建物を取り壊した後に敷地を分割されて分譲されたものなのだろうか。
「どうぞ、こちらへ」
営業マンに促された家は、昔の建物がそのまま立っている方である。住宅情報誌に載っていた写真の家だ。
「この家は、空き家になってからどのくらい経つのですか?」
友子は、二人きりの沈黙に居心地の悪さを感じて、言葉を発した。
「はい、ここに住んでいた人は、3ヶ月前に引越しをされました。」
「それから売りに出されたのです。」
家に入ると、少し広めの玄関があり、廊下の奥にキッチン、手前にはリビングがあった。年代を感じずにはいられないが、キッチンもお風呂も、思っていたほど悪くない。これなら、大きく手を入れなくても十分住めそうだ。
2階には洋室と和室があり、風通しもいい。開け放った2階の窓から下を見ると、小さいながらも庭があった。
「一戸建てだもん、庭も欲しいよね」
縁側のある庭付きの家で育った友子は、かつて旦那と住んでいたマンションは、どこか他人の家に来たような感じが、いつまで経っても抜けることはない家だった。
「そうだ、落ち着いたら犬でも飼おう」
1階のリビングにはソファセットを置いて、時には友達を呼んで焼肉でもしようか。
自分がこの家に住むことが決まったかのように、友子は空想が膨らんでいった。
Posted by Vabbitkun| 不動産トピックス<No069-002>Aug-2008
「どうですか?」
営業マンの言葉で我に返った友子は、自分の意識がここに無かったことを見透かされたように思い、少し恥ずかしくなった。
「ええ、なかなかいいと思います」
この値段なら、貯金と以前に住んでいたマンションを売って旦那と分けたお金を出せば、なんとか現金でも買える。建物は古いが、友子には落ち着ける雰囲気が自分に合っているように思っていた。ここで、新たな生活を送れる。
美容室にもそんなに離れていないし、知っている人が誰もいないところで、いちから生活をすることができるのだ。
「この家を買いたいと思いますけど、どうしたらいいですか?」
営業マンは一瞬びっくりしたような顔をしてこちらを向いた。
唐突の宣言だったのだろうか?
少しの間があった後、「はい、わかりました。それでは詳しいお話は事務所に戻ってさせてください。」そう営業マンは言って車へ案内した。
不動産を購入するのは2回目だ。
前回は、結婚をする際に、仕事場の美容室の近くでマンションが新築分譲されるということで購入したのだ。まさに、結婚とタイミングが重なった不動産購入であった。
その新築マンションも、築後15年を経た中古物件として売り払った。友子と夫との夫婦生活と同じように経年変化していったマンション。あちらこちらに汚れや傷が目立っていたけれど、購入時よりも少し高い値段で売れた。
皮肉にも、室内の滞在時間が少なかったからか、比較的綺麗なままの状態が幸いしたようである。
高い値段で売れなくても、使い込んだ手垢のついた部屋の方が良かったのかもしれない。そうであれば、売ることも無かったのかも?
まあ今となっては過去の話だけれども、まだ昔話にするほど記憶は薄れてはいない。